《連載》聞いてや、マッサン!#1

「本物のウイスキーを、日本でつくりたい」

今、NHKで再放送されている連続テレビ小説『マッサン』を観ている。

私は、100年前の日本で本物のスコッチウイスキーを夢見たマッサンの、この青臭いまでの情熱に、ジョンの姿を重ねずにはいられない。

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皆さん、はじめまして。
高知県日高村の「醸造所の社長」こと、さきちゃんです。

私たちは今、高知でスコティッシュビール醸造所の立ち上げ真っ最中です(2026年2月現在)。

NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』と私たち

昨年(2025年)の暮れから、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝氏と妻リタ氏をモデルにした物語『マッサン』の再放送が始まりましたね。

2014年の放送時、スコットランドに住んでいた私は、海外向けのNHK放送を急いで契約し、出勤前に見ていました。とても思い出深い作品です。

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画像:NHKアーカイブスより

マッサンがスコットランドでエリー(リタ氏)と出会い、本場の技術をノートに詰め込んで帰国したように、私たちもまた、スコットランドの豊かな文化や哲学に惚れ込み、その魂をビールという形でこの地に根付かせようと奮闘しています。

でも、理想だけでは進まないのが「ものづくり」のリアル。ドラマの中でマッサンが直面する壁——設備の不備、資金の悩み、周囲の理解…。

実は、現代の私たちも、円安に頭を抱えたり、海外設備メーカーとのやりとりに苦戦したり、思いがけない出費に一喜一憂したりと、まさにドラマさながらの「冒険」の真っ只中にいます。

「さきちゃんのブログ」では、今回からドラマ『マッサン』再放送の最終回まで、ドラマの各週テーマに合わせて綴っていく連載を始めます。『マッサン』のストーリーを出発点に、スコットランドのすばらしさや、今まさに進行している醸造所づくりの裏側を等身大でお届けします。

100年前、マッサンが夢見た「本場の味」。

私たちが目指す「スコティッシュビール」がどんな物語から生まれるのか、ぜひ一緒に見守ってください。

<人物の呼称について>
本連載では、名前を以下のように使い分けます。

  • マッサン:ドラマ『マッサン』に登場する亀山政春のこと。
  • エリー:ドラマ『マッサン』に登場する、亀山政春の妻。
  • 竹鶴さん:竹鶴政孝。マッサンのモデルで、ニッカウヰスキー創業者。
  • リタさん:竹鶴リタ。竹鶴政孝を支えたスコットランド人妻。

第1週『鬼の目にも涙』のあらすじ

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画像:NHK ONEより

大正9年5月。本場のウイスキーづくりを学ぶため単身スコットランドに渡った亀山政春(玉山鉄二)は、二年ぶりに日本へ帰国。その傍らには青い瞳の妻・エリー(シャーロット)がいた。政春の実家へと向かう二人。エリーは政春の母に会えるのが楽しみでしかたないが、気が乗らない政春。意気揚々と挨拶するエリーであったが、政春の母・早苗(泉ピン子)が発した言葉は、結婚を祝うどころか「外国人の嫁は絶対に認めない」だった。

NHKアーカイブスより

100年前、スコットランドから日本へやってきたエリー。言葉も通じない、お米の炊き方もわからない。そんな中で愛するマッサンの夢を信じ続けた彼女の姿に、心を打たれた視聴者は多かったことと思います。

竹鶴さんとリタさんの結婚は、当時(1920年)としては異例の国際結婚であり、両家から猛反対を受けたそうです。特にリタさんの家族からの反対は強烈だったとか。

二人はそれを押し切って結婚し、日本でのウイスキーづくりに向けて歩み始めたのでした。

国際結婚とおばあちゃん

私たちの場合、両家の反対こそなかったけれど、外国人とのお付き合いに関して、今でも忘れられないおばあちゃんの言葉があります。それは2011年2月。私がスコットランドへ旅立つ前、実家に滞在していた時のこと。
 
当時私は、母にしかジョンの存在を打ち明けていませんでした。父に伝えたのでさえ、高知を発つ前日の夜だったくらい。

私「あ、お父」
父「おう」
私「向こうに付き合いゆう人がおるけんど、別にかまんろ?」
父「・・・今から文句言うたち、遅いろ(笑)」
私(ニヤリ)
 
私のおばあちゃんは、いつもニコニコしている人でした。『となりのトトロ』に出てくるおばあちゃんとか、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』に出てくるおばあちゃんのような、丸くてコロっとした見た目の女性でした。

おばあちゃんはその晩、日に焼けた頬をツルツルとテカらせ、いつものようにシワでくしゃくしゃになった顔でまっすぐと私を見て、笑顔でこう言いました。
 
「あんた、変な人連れてきなよ。」

笑顔の奥の、笑っていない目

私は彼女のその時の表情をよく覚えています。

私が大学でアメリカ留学する頃からよくそんなことを言っていたので、私はいつものように「はいはい」と受け流しました。孫のことを心配してそう言ってくれているというのは、もちろんわかっています。

それなのにその時のおばあちゃんの顔をよく覚えているのは、私が心の中で「ごめんね、おばあちゃん」と思ってしまったからかもしれません。

それくらい私は、この「変な人」との結婚を予感していました。

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ジョン、初めてのひろめ市場(高知市)。日本は暑すぎて、毎日タオルを首からかけて出かけた。

スコットランドに移住して約2年後。日本に一時帰国してジョンを紹介することに。実を言うと、私は両親よりもおばあちゃんに紹介することをよっぽど心配していました。

おばあちゃん、なんか変なこと言い出すんじゃないだろうか。
ジョンを「あの時の目」で見るんじゃないだろうか。

そしてついに、二人の対面のときが来ました。おばあちゃんは、ジョンに深々と上半身を折ってあいさつし、「咲野の祖母です」と一言。そして、スコットランドからの長旅をねぎらい、私の心配をよそに、おじいちゃんと一緒に私たちの結婚を心から喜んでくれたのでした。

おじいちゃん、琴平駅で泣く

高知を発つ日。特急列車で大阪まで帰る予定でしたが、おじいちゃんとおばあちゃんが少しでも私と長くいられるようにと、父が香川県の琴平駅まで車で送ってくれました。

おじいちゃんは、晩年はほとんど会話をしませんでした。日本酒が大好きで、毎晩飲んでいたおじいちゃん。私たち孫に会うと、にっこり笑顔で、関節がぼこぼことした太い農夫らしい手を顔の前でひらひらさせるのが、おじいちゃんの「会話」でした。

そんなおじいちゃんが、琴平駅で急に声を上げました。
「おおおおー!」って。「お」に濁点が付いてるような声で。

私は最初、おじいちゃんが遂におかしくなってしまった!と思いました。すると、「まぁ、この人、泣きゆうで」とおばあちゃん。私は後にも先にも、おじいちゃんが泣いているところなんて、見たことがありません。

ーもうこれが、最後かもしれないー

「おじいちゃん、またすっと帰ってくるきね。元気でおってよ」と言っておじいちゃんの手を握り、琴平駅を後にしました。

そしてそれが、おじいちゃんとの最後になったのでした。

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琴平駅で見送ってくれたおばあちゃんとおじいちゃん

おばあちゃんとの別れ

2022年に日高村に移住してきたときには、おばあちゃんは施設に入っていて、ついに最後まで、面会はガラス越しでしか叶いませんでした。

最後は会話もほとんどできませんでしたが、ガラス越しに私たちの娘二人を見て、うんうんとうなずき、おばあちゃんの合わせた両手から「ありがとう」が伝わってきました。

「こんな経験ができて、まっことジョンさんのおかげやね」
「ジョンさん、ありがとう」
まだ元気だった時によく言ってくれていた、あの「ありがとう」。
 
今は亡きおばあちゃん、おじいちゃんも、まさか私が日高村に帰ってくるなんて思ってもみなかったと思います。ましてや、ジョンと一緒にここでスコティッシュビールをつくるなんて。

虹の向こうで、どんなに喜んでくれていることか。どんどんできあがっていく醸造所を見つめながら、ふとそんなことを想像する今です。

最後に

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2025年10月、着工前の用地。かつて私の祖父母も、毎日この土地の前を通っていた。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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最高の一杯を目指して。日高村より。

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