A mid-30s bearded white guy sitting in a craft beer bar in front of a 5 glass beer flight in a wooden box.

私が醸造士になりたい理由

これまでの道のり

IT業界で働くまで

1980年のクリスマスイブに、母と祖母と社交クラブで飲み会

幼い頃、父は地元のパブでアルバイトをしていました。成長するにつれ、私たちはよくパブやバー付きの地域コミュニティ施設、スポーツクラブなどで、イベントや結婚式、スポーツ観戦などに参加するようになりました。このパブ文化は私に大きな影響を与え、当然のように18歳(スコットランドでパブ勤務が合法となる年齢)になるとすぐに働き始めました。

また、私は小さい頃から料理が好きでした。そして、ホテルでのアルバイトを通じて、プロのシェフから貴重なアドバイスをもらう機会にも恵まれました。ハーブやスパイス、食材の下ごしらえや調理技法など、多くのことを学びました。そして、私自身も様々なパブで調理人として働きました。その後、咲野と一緒に趣味として、ミシュランの星を獲得したレストランを含む様々な飲食店を定期的に訪れました。こうした外食体験が自宅での新たなレシピ挑戦のきっかけとなり、食と料理への興味はさらに深まっていきました。

ビールと食は常に私の人生の中心でしたが、何よりもバーカウンターでビールを注いでいた時間が一番好きでした。パブではパートタイム・フルタイムを問わず、様々な役職で約17年間勤務しました。これまで何千杯ものビールを注いできました。そしてその単純な作業に、私はいつも満足感を得ていました。バーで働いていた時に出会った友人たちは、今も一番親しい友人たちであり、おそらく生涯そうであり続けると思います。

バーで働いていたとき。スコットランドでとても有名なビール二種類をサーブしているところ。

一方で、社会人になってからは、パブの仕事よりも少し安定した収入を求めて、様々な業界を経験しました。バーテンダーとして働くのと同じくらい幸せを感じられるキャリアではありませんでしたが、ITやウェブ開発のスキルを活かし、IT業界でのキャリアを築くことにしました。その間も、ビールを注ぐパートタイムの仕事は続けました。

探し始めた新たな道

ですが、大手国際金融企業のIT部門で数年働いた後、思いました。この仕事はもう十分だ、と。仕事にほとんど満足感を得られなかったからです。そして、一からやり直そう、大学に入学しよう、そう決意しました。幼い頃から侍文化に憧れ、スコットランドと日本の歴史への関心が高まっていた私は、いつか日本に住もうと心に決めました。そして日本語の夜間講座に通い始め、エディンバラ大学の日本学への入学しました。

在学中には岡山大学に交換留学をし、そこで咲野と出会いました。これはもちろん私の人生にとって大きな意味のある出来事でした。そしてもう一つ。私が留学からスコットランドに戻ると、ちょうどクラフトビールがブームを起こそうとしていました。これらの出来事は、私のその後の人生を大きく変えることになります。

咲野をスコットランドに呼び寄せるため、大学卒業後の私の最優先課題は、二人の経済的な基盤を整えることでした。そこで再びIT業界に戻り、今度は自ら会社を設立し、コンサルタントとして働き始めました。このキャリア選択からも、どこか満たされないような感覚がありました。でも当時はその感情は押し殺し、妻と将来の家族を支えることに集中することに決めました。

人生を変えたクラフトビールとの出会い

この期間に、クラフトビールへの興味と愛情が急速に育まれました。クラフトビールとの出会いは、飲酒の焦点を「酔うための手段」から「味わいと口当たりを楽しむこと」へと転換させました。このように時間をかけてビールを味わう習慣は、私の生活スタイルを大きく変えてくれました。日常的に摂取するアルコール量は大幅に減り、飲むことから得られる喜びが格段に増したんです。

2013年、私はクラフトビール定期配送サービス「Beer52」の初回ボックスから登録を開始し、世界中の様々なスタイルのビールを体験し始めました。毎月、12種類の新しいビールと優れたクラフトビール雑誌が届きました。

BEER52のクラフトビール雑誌の山の上に積まれた醸造科学の本

訪れた転機

そして2016年、友人たちとエディンバラで開催された初めてのクラフトビールフェスティバルに参加しました。その日、同じく初出展していたのが、スコットランド北東部発の若き醸造所Fierce Beer(フィアース・ビール)でした。彼らのビールの一つがすぐに私の目を引きました。チポトレチリポーター「ダーティ・サンチェス」です。このビールは衝撃的でした。辛さが驚くほどバランス良く調和されながらも、チリの風味が際立っていたのです。これまで味わった中で、最も興味深いビールでした。その時、私の料理への興味と、この頃には深いものとなっていたビールへの愛が重なり始めました。

ビール専用冷蔵庫を占領するFIERCE BEERのビールの数々

しかしそれ以上に印象的だったのは、参加した各醸造所から感じられた仲間意識、オープンさ、そして熱意でした。醸造所の代表者たちは、熱心な顧客とだけでなく、他の醸造所との知識共有を心から楽しんでいるように見えました。クラフトビール業界には競争の影すらなく、協力と協調が根付いていることに気づいたのです。醸造家たちはレシピや工程を率直に話し合い、秘密など一切なく、皆が仕事に喜びを見出しているようでした。

その日のある時、私はFierce Beerの創業者の一人とお話しすることができました。彼のビールがとてもおいしかったこと、そしてそれが私の内面に何かを呼び起こしているということを伝えました。これが私が望む未来だと気づいたのです。彼はそれを大変喜んでくれました。私がフェスティバルで展示されていた金属製のロゴ看板を購入したいと尋ねると、セッション終了後に戻ってくるように言われました。そして私が戻ってくると、その看板をプレゼントしてくれたんです。この瞬間、私は醸造士になることを確信しました。そしてこの経験が、ITキャリアにおける日々の不満に耐える忍耐力を与えてくれたのでした。

醸造が始まった

その後しばらくして、親しい友人からエディンバラのStewart Brewing(スチュワート・ブリューイング)で行われているBrew Your Own(醸造体験)ビールイベントに招待されました。私たちは「Broken Whisk(壊れた泡だて器)」という名のミルクスタウトを醸造しました。この名前は、参加していた別の友人がStewart Brewingの泡立て器を壊してしまったことにちなんでいます。その日担当の醸造家とお話しする中で、エディンバラのヘリオット・ワット大学に醸造コースがあること、そしてStewart Brewingが同大学と提携し、学生が自身のビールを醸造できるスペースを提供していることを知りました。

私達が作った「Broken Whisk」ビールのラベル

こうした情報を得て、ついに私は自家醸造を始めました。キッチンの隅で、数週間おきに醸造を始めることにしたのです。

日本に移住する前にスコットランドで最後に醸造した3種類のビール

日本での新たな未来に向けて

その後間もなく、娘を日本の親族に紹介するため日本を訪れました。それまでも何度か訪れてはいましたが、田舎の環境で心からリラックスできたのは今回が初めてでした。旅の途中、過疎化により地元の村や町がいつ頃ほぼ無人化するかという予測を耳にし、娘が自身の文化的ルーツを失ってしまうのではないかと、とても心配になりました。

その後、友人や家族、ご近所の方々との様々な会話を通じて、もしかしたら私たちにできることがあるのではないか、と考えるようになりました。さらに、長年コンピューター画面の前で仕事をしてきた結果、不眠症に悩まされるようになったこともあり、この村に移住して醸造所を始め、より健康的な生活を送るべきではないかと考えたんです。

私達のホームタウン、高知県日高村

そして日本から帰国後、コロナ禍が襲いました。家族として日本での生活について考える機会が増えました。当時の仕事には全く満足できず、目の前には魅力的なアイデアが広がっていました。私はビールと醸造について学ぶことに全エネルギーを注ぎ、Stewart Brewingから聞いていた大学院課程への入学を決断したのです。

移住の時

フルタイム勤務、自家醸造、微生物学・生化学の大学院課程、娘の育児、そして日本移住の準備と多忙を極める中、私は高知県仁淀川町のケネス・ムカイさんに手書きの手紙を送りました。将来住む予定の村から1時間もかからない場所にケンさんが醸造所を開いたと聞き、お祝いの言葉と併せて私たち自身や移住の計画を伝えしました。メールアドレスが見つからなかったため、代わりに8ページの手紙を書きました。幸いにもケンさんはメールで返信をくれ、この間頻繁に連絡を取り合いました。

インターンシップでは、ケネス・ムカイさんから貴重な助言を受けた

私たちは日高村の地域おこし協力隊に申請し、採用になりました。私たちはクラフトビール醸造所の設立をミッションに、協力隊としての活動を始めました。また、移住後間もなく、ケンさんのMukai Craft Brewingで1年間インターンシップをさせてもらいました。この期間に多くのことを学びました。そして、妻の咲野と共に日本各地の醸造所を視察する出張を重ね、既に私たちが歩んでいる道を進まれた先輩たちから様々なアドバイスをもらいました。こうした機会は、元々高いモチベーションをさらに高め、立ちはだかる様々な課題に取り組む集中力をくれました。

静岡にあるウエストコースト・ブルーイング醸造所を訪問
サウス・ホライズン・ブリューイングのプレオープンイベントにて

始まりのとき

私は15年以上クラフトビールの愛好家です。確かに、日本の田舎にいると不便なことや、手軽に入手できるクラフトビールの数は少ないです。でも、クラフトビールへの情熱が薄れたことは一度もありません。現在はスコットランドにインスパイアされた美味しいビールのレシピ開発に集中し、これまでに得た知識を活かして可能な限り最高品質のビールを醸造することに全力を注いでいます。とてもワクワクしています。

まだ醸造士とは言えませんが、あと少しというところまで来ています。醸造を開始したら、生涯をかけて技術を磨き、失敗から学び、完璧を追求していきたいです。

どうかこの旅路に、皆さんもご一緒ください。

お買い物カゴ

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